DE GREGORIO創設までの道のり
De Gregorio Cajonは2003年設立だが、そのずっと以前、創始者Paolo De Gregorio がDe Gregorio CAJONを設立するまでの道のりから話をしよう。
80年代初め、Paolo De Gregorioはその頃Hip Hop のダンスとリズムに夢中になっていた。
スペイン人でありピアノ講師であったPaoloの母はPaoloにクラリネットを吹くことを勧めたが、
B-BOYだった彼がクラシカルなクラリネットに興味を持つことは無かった。
そんな中リズムに魅せられていた彼はドラムを始めたいと母に伝えた。
幸運なことに、母はその選択を喜び、励ました。
「母は(私がドラムを選んだことを)とても喜んでくれました。さっそく私はドラムセットを買い揃えました
。初めて夢中になったのがPeter Gabriel のアルバムです。
他にもレゲエ、ジャズ、The Policeも好きでした。今でもStewert Copelandはロックドラマーの中で最も敬愛する一人です。」
スペインからロンドンへと移住したことで、彼の視野はさらに広がり、あらゆることをスポンジのように吸収していった。
「私がロンドンに住んでいた日々は毎日が刺激に溢れていました。
音楽のことだけではなく、文化もです。とても貴重な時間を過ごし、新たな音楽スタイルを発見しました。」
Paoloはロンドンであらゆることを吸収し、あらゆることを懸命に取り組んだ。
また、その頃ハンドパーカッションとの運命的な出会いを果たす。
「異なる音楽哲学や文化の人たちが音楽をどのように感じているのか、特にミーター(拍)に関しては
拍子だけではなく強拍のサイクルによるリズムなどとても興味をそそられました。」
ここから数々の偶然が重なる。
ロンドンを去り、彼の故郷であるイタリア・ボローニャへ戻った時、Paoloはスペイン人のミュージシャンからフラメンコバンドでのパーカッショニストの誘いを受ける。
「私はスペインのアンダルシア地方を訪れ、フラメンコ音楽について徹底的に勉強しました。セビリアで「パコ・デ・ルシアズ バンド」のダンサーManolo Solerに出会い、又Rubem Dantasに出会い、パーカッションの事を学びました。イタリアへ戻り数年間彼らと演奏活動を続けました。その頃、どこでよりよいCajonを手に入れられるのか? どのように演奏するのか?と多くの人から質問をうけました。私も日頃から同じ疑問を持っていました。当時はCajonを製作している工房は少なく、遠方よりメールで注文するのが普通だったので、今のように店頭で良い音のCajonを試奏して探す・・・ということは難しかった。そこで私はCajon製作の必要性に気付いたのです。」
背中を押すようにその頃、ある少年が小さなCajonを作ってほしいと、Paoloにせがんできた。
「空き時間があったので、私はその少年の為に、小さなCajonを作った。その出来が(音が)良かったのです。これをきっかけに『もしかしたら私自身がCajon製作を始められるのではないか?不慣れな私が製作をするのは長い道のりになるが逆を返せば失うものは何もない…
Cajon製作はあらたな収入源の一つとなるし、存分にCajonを演奏出来る環境でもある。』と考え、Cajon製作を始めることを決意しました。
そしてちょうど決意した時に、イタリアの販売代理店から30個のファーストオーダーが入ったのです。すぐにパーカショニストであり職人でもある友人に助言を求めました。彼の友人のCajonの経験はないが興味を持っているという家具職人を紹介してくれ、彼に共同制作の依頼をするといいとアドバイスをくれました。さっそく、私は彼に現状を話し、彼がその30個のCajonの製造に協力してくれることになったのです。彼は私に数か月かけて、どこで材を手に入れ、どのように材を活かすのか。などを教えてくれました。彼の知識や技術を私が習得した頃、彼がもともとの家具職人へ戻ることになりました。
その時彼は『Paoloは(Cajon製作に)必要な事はすべて習得したから大丈夫だ』と太鼓判を押してくれました。
そうして私はCajon 製作者としての道を歩むことになったのです。」
Paoloはそうして会社を立ち上げ、銀行からの借り入れの必要のない予算で間借りできる場所を探し、とある車庫で生産を開始した。
当時を彼は「その頃はカホン工場はほとんど無く、場所はすぐに見つかった。私はラッキーだった」と振り返る。
そうして徐々にカホンのオーダーも増え、生産数を上げていった。
当時を振り返り彼は「ドイツのディストリビューターであるGEWAからの100個ものオーダーが来てそれが初めてのオーダーでした。よりビジネスライクにするため、スーツを着るべきかと考えました。演奏会の電話は減り、カホンの問い合わせの電話が増えました。」と冗談めかして笑った。